先日、久々にがっつり営業をかけられた。
それもなかなか直球だった。

「人を買う気にさせるトーク術」
という、どこか10年以上前に
流行ったようなお題。
“セールストークを学びませんか?”
という提案だった。
概要を聞くと
「人の無意識を言葉でコントロールして
買いたい!と思わせることで営業の成果をあげましょう!」
という内容。
なるほど、よくある切り口だ。
一応、最後まで話は聞いた。
途中で遮るのはフェアじゃない。
どんな設計で、どんな思想で
作られているのかは知っておきたい。
そして最後に、ひとつ質問をした。
「なぜ、僕にこれを勧めてきたの?」
すると相手は笑顔で
「ぜひ、これを習得して
営業を教えている新城さんの
武器にしてもらえたらと思います!」
と答えた。
なるほど、そう来たか。
そこで伝えた。
「僕が教えているのは“営業”ではなく、“営業学”なんだよ。
何も知らずに営業してくるって、すごいね。」
一瞬、相手はポカンとしていた。
けれど、すぐに
「何が違うんですか?」
と聞いてきた。
この“何が違うんですか?”
が出てくるのは、悪くない。
素直だと思う。
そこから、営業と営業学の違い
テクニックと思想の違い
短期的成果と構造理解の違い
について、色々と話した。
結果的に、後日こちらのセミナーを
受けてくれることになった。
若い子で素直でエネルギーもある。
きっと会社から渡されたトークスクリプトを
そのまま忠実に実行しているのだろう。
それ自体を否定するつもりはない。
トークスクリプトは大事だ。
型は必要だし
再現性を持たせるためには言語化は欠かせない。
ただ
“無意識をコントロールして買わせる”
という思想を
そのまま疑いもなく使うことには
少し怖さも感じる。
人を動かす技術は、強力だ。
だからこそ、扱う側の思想が問われる。
トークを磨くことは大切。
だが、その前に
「それは本当に正しいのか?」
と一度疑う視点も
同じくらい重要なのではないか。
言われた通りにやることは
成果を出す近道かもしれない。
けれど疑わないまま使う技術は
いつか自分の軸を奪うこともある。
大事なものほど「疑う」
強力な武器ほど「思想を問う」
営業も、教育も、経営も。
テクニックの前に、在り方がある。
そんなことを改めて感じた出来事だった。
